立石正広選手は、高い打撃力と守備力を兼ね備えた内野手として注目を集めている期待の若手選手です。
山口県出身で、高川学園高校から創価大学へと進学し、大学では三冠王を獲得するなど圧倒的な実績を残しました。
そんな立石正広選手の強さの裏には、スポーツ一家で育った環境があります。
父親は大学までバレーボールを続けた元選手、母親はバルセロナ五輪代表の元日本代表というアスリート一家で、姉たちもプロのバレーボール選手として活躍中です。
この記事では、立石正広選手の家族構成や幼少期のエピソード、巨人ファンになった理由やプロ入りまでの道のりを詳しく紹介していきます。
大学野球2025秋季リーグ展望号 (週刊ベースボール10/7 号増刊)
- 立石正広の父親と母親・兄弟はバレーボール選手?
- 立石正広はどうして巨人ファンになった?
- 立石正広のポジションは内野手?高校と大学の成績
立石正広の父親はどんな人?

山口県の強豪・宇部商業高校出身で、大学でも競技を続けた経験を持ちます。
家庭では厳しさと優しさを兼ね備えた存在で、息子の挑戦を常に支えてきました。
立石正広選手が持つ身体能力や精神力の基盤には、父親の影響が色濃く反映されています。
まさに「努力と継続の大切さ」を教えてくれた存在と言えるでしょう。
父親の職業やスポーツ歴
学生時代は強豪校で活躍し、大学進学後もバレーボールを続けたほどの実力者でした。
現在の職業については公表されていませんが、一般企業で働いていると見られています。
実は、立石正広選手が野球を始めたきっかけの一つも父親の影響で、和広さん自身も野球を少し経験していたといわれています。
高い運動神経と競技への真摯な姿勢は、立石正広選手のプレースタイルにも受け継がれています。
バレーボール選手だったという噂の真相
宇部商業高校と大学で競技を続けており、当時から運動能力が高く、周囲からも信頼される選手だったようです。
また、立石正広選手の母親は1992年バルセロナ五輪に出場した元バレーボール日本代表選手ということもあり、両親ともにアスリートというまさに“スポーツ一家”。
家庭内でも自然とスポーツが身近にある環境で育ち、父親のバレーボールへの情熱と姿勢が、立石正広選手に大きな刺激を与えたと考えられます。
立石正広さんに与えた影響とは
幼い頃からスポーツに親しむ環境で育ち、父親の「楽しむ前に基礎を大切に」という考え方を自然と学んできました。
その結果、立石正広選手は基礎力に優れた安定したプレーを見せるようになります。
大学やプロの指導者からも「運動神経のバランスが素晴らしい」と評される理由の一つは、父親譲りの身体能力と努力の精神にあります。
父親の支えが、今の立石正広選手の土台を築いているのです。
立石正広の母親はどんな人?

現姓は立石で、実業団「ダイユウ」に所属していた実力派アスリートとして知られています。
母親は若い頃から努力を惜しまない性格で、競技生活を通じて培った精神力と根性を家庭でも発揮してきました。
立石正広選手にとって、母親はまさに“努力の象徴”であり、人生の軸をつくった存在といえるでしょう。
母親の人物像と性格
オリンピック選手としての経験から、「勝つために努力する姿勢」を何よりも大切にしており、家庭内でもその姿勢を貫いています。
立石家は「春高バレーのような熱気ある家庭」と言われるほど、スポーツに対して前向きで活気にあふれた雰囲気です。
母親は厳しさの中にも温かさがあり、子どもたちの精神面の成長を常に見守ってきました。
立石正広選手が試合で見せる集中力や諦めない姿勢には、母親から受け継いだ強い心が息づいています。
家族を支える存在としてのエピソード
立石正広選手が小学生の頃から毎朝4時に起きてお弁当を作り、練習に向かう息子を支え続けたそうです。
家庭ではバレーボールの話題が絶えず、年始には家族で「春高バレー」を観戦するのが恒例行事。
母親は、自身の経験をもとに「上には上がいるから、毎日努力を続けなさい」という言葉を立石正広選手に何度も伝えてきました。
その言葉は今でも胸に刻まれており、彼の野球人生を支える大切な信念となっています。
野球を始めたきっかけに母親は関係していた?
スポーツ一家で育った立石選手は、幼い頃から母親の練習や試合を見て、努力の大切さを自然と学びました。
母親は野球という競技自体には関わらなかったものの、常に「最後まであきらめない姿勢」を息子に教え続けてきました。
試合でうまくいかない時も、「失敗は次への準備」と声をかけ、精神面を支えたそうです。
立石正広選手の粘り強さと前向きな姿勢には、母親の教えと温かい支えが確かに息づいています。
立石正広の姉はどんな人?

父親と母親はどちらもバレーボール経験者で、姉たちもプロとして活躍する“超スポーツ一家”です。
立石正広選手はそんな家庭の中で、自然と体を動かすことが好きになり、スポーツに親しむようになりました。
家族の影響を強く受けながらも、自分の道として野球を選び、努力を重ねてきた点が印象的です。
兄弟の人数や年齢構成
2人の姉がいて、長女は立石沙樹(さき)さん、次女は立石優華(ゆうか)さんです。
長女の沙樹さんは1996年1月生まれで29歳、次女の優華さんは1998年3月生まれで27歳(2025年時点)とされています。
姉たちは年齢が近く、幼少期から兄弟仲が良かったといわれています。
立石正広選手は姉たちに可愛がられながら育ち、末っ子らしい明るさと負けず嫌いな性格を身につけました。
兄弟全員が努力家で、それぞれの分野で自分の目標に向かって挑戦している姿勢が共通しています。
姉もスポーツをしている?

長女の立石沙樹さんは、Vリーグのリガーレ仙台に所属し、アウトサイドヒッターとしてプレー。
パワフルなスパイクと明るいチームリーダー気質で知られています。
次女の立石優華さんもバレーボール選手で、青山学院大学出身。現在はクインシーズ刈谷でリベロとして活躍しています。
立石家はまさに「スポーツ一家」で、兄弟全員がトップレベルのアスリート。
立石正広選手も野球という異なる競技で、自分らしい道を切り開いており、兄弟間にはお互いを尊敬し合う関係が築かれています。
立石正広はどうして巨人ファンになった?

テレビで見た長野選手の全力プレーや姿勢に強く惹かれ、「自分もあんな選手になりたい」と感じたことがきっかけでした。
地元・山口県は広島カープファンが多い地域ですが、立石正広選手はあえて巨人ファンを貫いており、その情熱と憧れが彼の野球人生を支えるモチベーションとなっています。
立石正広が巨人ファンになったきっかけ
打席での集中力や全力で走る姿、チームを引っ張る姿勢に「自分もあんな選手になりたい」と憧れを抱いたといいます。
特にマツダスタジアムで観戦した巨人対広島戦で、実際に長野選手のプレーを目の当たりにした経験は忘れられない瞬間だったそうです。
本人は「巨人ファンというより、長野久義選手のファン」と語るほど、選手個人への尊敬の気持ちが強く、それが野球への情熱や原動力につながっています。
憧れの選手とのつながりと夢

テレビの前で長野選手が打席に立つと真剣なまなざしで見守り、ヒットを打てば家族と一緒に喜び、凡退すると悔しさをにじませる――そんな日常が幼少期から続いていたといいます。
さらに、創価大学の先輩であり巨人に所属する門脇誠選手の存在も、立石正広選手に大きな刺激を与えています。
「自分もあの舞台に立ちたい」という強い想いを胸に、巨人ファンとして応援するだけでなく、いつか憧れの選手たちと同じグラウンドに立つことを目指しています。
立石正広選手にとって、巨人ファンであることは夢そのものなのです。
立石正広のポジションは内野手?

大学では三塁を本職としてプレーしていましたが、4年生の春から二塁にコンバートされました。
守備範囲の広さと柔軟な対応力が持ち味で、複数のポジションをこなせるのが強みです。
俊敏な動きと冷静な判断でチームの守備を支える存在であり、将来的には内野の要として活躍が期待されています。
守備位置の特徴とプレースタイル
三塁手は強肩と反応速度が求められる難しいポジションであり、打球への瞬発力や正確な送球が重要です。
一方、二塁手は守備範囲の広さや内野連携の速さが問われます。
立石正広選手は身体能力が高く、いずれのポジションでも安定感のある守備を見せています。
俊敏なステップワークと柔軟なグラブさばきが評価されており、プレースタイルは「堅実かつ軽快」。
攻守のバランスに優れた選手として、どのポジションでもチームに安心感を与える存在です。
チーム内での役割
守備面では内野の中心を支える存在で、二塁・三塁いずれのポジションでも確実な守備力を発揮。
守りの要としてチームの信頼を得ています。
攻撃面では広角に打ち分けるバットコントロールが魅力で、得点圏での勝負強さも持ち味です。
大学時代からリーダーシップを発揮しており、ベンチでもムードメーカー的な存在。
将来的には、守備だけでなく打撃でもチームをけん引する中核選手になることが期待されています。
打撃と守備の評価
特に、追い込まれてからの粘り強い打撃が持ち味で、「勝負強いバッター」としてスカウト陣から注目されています。
一方、守備では二塁手としての軽快な動きに加え、本職の三塁手でも高い安定感を発揮。
どのポジションでもチームに貢献できる柔軟性が魅力です。
走攻守すべてにおいて完成度が高く、「即戦力内野手」としてプロからも期待が寄せられています。
立石正広の出身高校と大学

高校時代から勝負強い打撃で注目を集め、甲子園でもチームの初勝利に貢献。
大学ではその才能をさらに伸ばし、リーグ戦で三冠王を獲得するなど全国区の強打者へと成長しました。
小学生時代から積み重ねてきた努力と経験が、立石正広選手をプロ注目選手へと押し上げたのです。
出身高校と高校時代の成績
1年生の春からベンチ入りを果たし、1年夏の県大会では2番・一塁手としてスタメン出場。
早くからチームの中心選手として存在感を見せていました。
3年夏の甲子園初戦では本塁打を放ち、高川学園にとって夏の甲子園初勝利をもたらした立役者となりました。
高校通算本塁打は10本。特に2年夏の県大会優勝や3年時の打率.412、本塁打7本という成績は圧巻です。
打撃だけでなく守備でも安定感を見せ、立石正広選手は高校野球界で早くから「プロ候補」として注目される存在でした。
大学での活躍と注目ポイント
1年春から公式戦に出場し、2年春にはリーグ戦で打率5割を超える驚異的な成績を残し、本塁打5本・14打点で三冠王を獲得。勝負強さと安定したスイングでチームをけん引しました。
3年秋には明治神宮大会でも本塁打を放ち、全国舞台でその名を知られる存在に。
大学代表として国際大会にも出場し、強豪校のエース級投手を相手に結果を残したことが評価を高めました。
打撃だけでなく、守備・走塁もバランスよく成長し、立石正広選手は「走攻守そろった大学屈指の内野手」としてプロのスカウトから熱い視線を集めています。
学生時代からプロ入りまでの経緯
高校では高川学園高等学校で4番打者として活躍し、甲子園での勝利で一躍注目を浴びます。
その後、創価大学に進学してからは打撃力をさらに磨き、全国大会での活躍によって多くのスカウトの目に留まりました。
2025年のドラフトでは、複数球団が上位候補としてリストアップし、広島東洋カープが1位指名を公表するなど注目度は非常に高いです。
長年積み重ねてきた努力と確かな実績により、立石正広選手は「プロでも通用する即戦力内野手」としての道を切り開いています。
まとめ
立石正広選手は、努力と才能を兼ね備えた内野手として注目を集める選手です。
父親は大学までバレーボールを続けたスポーツマン、母親はオリンピック出場経験を持つ元日本代表選手という、まさにアスリート一家に育ちました。
姉たちもバレーボールの道を歩み、家族全員がスポーツを通じて支え合ってきたことが、立石正広選手の強さの源になっています。
幼少期から巨人ファンとして野球に情熱を注ぎ、創価大学では三冠王に輝くなど、確実にステップアップを重ねてきました。
これからの成長がますます楽しみな立石正広選手。
今後の活躍に期待しながら、みんなで立石正広選手を応援していきましょう。
大学野球2025秋季リーグ展望号 (週刊ベースボール10/7 号増刊)
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